家に設置してある
防災ラジオが
「地震です」
というとき、
台所にある
大きなテーブルの下に
入っていると
たいてい
いつもは
ほんの少し揺れて
1分もしないうちに
おさまりますが
その日は
ちがいました。
揺れがなんだか
長いなぁと
思っていたら
強い揺れになって
テーブルの側や
家の奥のほうとかから
がらがらがっしゃーんと
大きな音が響きました。
揺れがおさまって
テーブルの下から出ると
住み慣れたいつもの家が
まるで知らない場所みたいになっていました。
津波も来るというので
無事だった母と一緒に
近所のパチンコ屋さんの立体駐車場の
上のほうの階まで
避難しましたが、
数時間で
津波の心配は無くなって
夜には母と家に戻りました。
家の中は
倒れた家具でめちゃくちゃです。
朝になったら
母と2人で
倒れた家具を1つずつ起こさなければいけません。
とても大変そうです。
お店が閉まっていて
食べ物が買えません。
蛇口をひねっても
水も出ません。
あしたから
どうすればいいんでしょうか?
どうやって生きていくんでしょうか?
とても心配です。
そんな中で
聖書を開くと
主が語りかけてきました。
「だから、
わたしは
あなたがたに言います。
自分のいのちのことで、
何を食べようか、
何を飲もうかと
心配したり、
また、
からだのことで、
何を着ようかと
心配したりしてはいけません。
いのちは食べ物よりたいせつなもの、
からだは着物よりたいせつなもの
ではありませんか。
空の鳥を見なさい。
種蒔きもせず、
刈り入れもせず、
倉に納めることもしません。
けれども、
あなたがたの天の父が
これを養っていてくださるのです。
あなたがたは、
鳥よりも、
もっとすぐれたものではありませんか。
なぜ着物のことで心配するのですか。
野のゆりがどうして育つのか、
よくわきまえなさい。
働きもせず、
紡ぎもしません。
きょうあっても、
あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、
神はこれほどに装ってくださるのだから、
ましてあなたがたに、
よくしてくださらないわけがありましょうか。
そういうわけだから、
何を食べるか、
何を飲むか、
何を着るか、
などと言って
心配するのはやめなさい。
あなたがたの天の父は、
それがみなあなたがたに必要であることを
知っておられます。
だから、
神の国とその義とを
まず第1に求めなさい。
そうすれば、
それに加えて、
これらのものはすべて与えられます。
だから、
あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。
労苦はその日その日に、
十分あります。」
(聖書・マタイの福音書6章25節〜28節、30節〜34節)
このことばで、
とても励まされ、勇気づけられました。
あれこれ心配しているうちに、
遠くに住んでいる弟が来てくれて
家具などのかたづけを
手伝ってくれました。
困っていた食べ物や水も、
弟が持ってきてくれたり
近所のかたや教会の先生も
運んできてくださいました。
やがてお店も再開されて
支援物資が配布されたり
給水所も開かれました。
ほんとうに、
労苦は
その日その日のうちに
十分あるんです。
主とともにある1日には
やすらぎといこいがあります。