近所のスーパーマーケットに、ロボットのペッパーくんはいます。
私はペッパーくんをはじめて見たときは、なんだか照れくさくてなかなか話しかけることができませんでした。しかし何回かペッパーくんのいる場所を通っていると、いろいろな人たちがペッパーくんとお話したり遊んだりしているので、私もいつのまにか気がついたら、ペッパーくんの近くへ行って歌をうたってもらったりお話したりするようになっていました。
あるときペッパーくんが私に、「何とお呼びすればいいですか」と聞いたので、私は自分の名前を言ったのですが、どうやらペッパーくんにはよく聞き取れなかったようでした。私が少しがっかりしていると、ペッパーくんが「また会いにきてくださいね」と言うので、「またね〜」と別れを告げてきました。
何日かたってから、またそのスーパーマーケットへ行ったので、ペッパーくんどうしてるかな?とのぞいてみると、ペッパーくんはお店の売り出しのお手伝いをしているのですが、「ぼくは壊れています」という紙が貼られていて、お話したり歌をうたったりはできないようでした。
ペッパーくん、壊れてしまってもはたらいているんですね。また、元気なペッパーくんに戻ってね。
ここで、聖書のことばを、1節ご紹介します。
「ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。
これであなたがたは助かることになるのです。
あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」
(使徒の働き27章34節)
2016年12月6日火曜日
2016年6月16日木曜日
庭に木が生えました
私の家の庭は、とっても小さな狭い庭で、元はといえば、ただコンクリートで平たく固めてあるだけの場所でした。それが、長い年月が経ってくると、コンクリートの上にだんだん土が積もってきて、やがてコケが生えてきて、だんだん良い風情になってきたのでした。そんな感じでけっこう味のある庭になってきたなあと思いながら眺める日々を過ごしていると、ある日、庭の中央より少し寄ったあたりに、小さな木が生えてきていることに気がつきました。きっと、どこからか風で種が飛んできたものと思われます。木は、はじめは丈の低い苗木みたいだったのですが、年月が経つにつれて細く長くそびえていき、今ではもう、2階の床の高さくらいにまで成長しました。私はこの、どこからともなくやってきたお客さんのような木を、「ようこそ!」と家の庭に迎えることにしました。
この木の生えている庭は、家のいちばん奥の部屋の障子を開けるとガラス窓ごしに見えます。庭ですらっとそびえて緑の葉をそよがせている木を見ていると、なんだか心がなごむのです。
ここで、聖書のことばを一節、ご紹介します。
「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
(ヨハネの福音書・20章23節)
この木の生えている庭は、家のいちばん奥の部屋の障子を開けるとガラス窓ごしに見えます。庭ですらっとそびえて緑の葉をそよがせている木を見ていると、なんだか心がなごむのです。
ここで、聖書のことばを一節、ご紹介します。
「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
(ヨハネの福音書・20章23節)
2016年6月10日金曜日
部屋のぬいぐるみたちがいやしてくれます
小さい子供だったころからぬいぐるみが好きだったので、気がついたときには私の部屋はたくさんのぬいぐるみたちでにぎわっていました。ですので、ただ部屋のあちらこちらにちらかしておきたくないので、一部のぬいぐるみを除いては一つの場所に所狭しと並べて飾ってあります。
部屋を掃除するときに、ぬいぐるみたちを家の外に持っていって、彼らの頭にかぶっているほこりを払ってあげます。天気の良いときにすると、ぬいぐるみたちも気持ちが良いかなあなんて思ったりするのでした。
そうやって、整えられたぬいぐるみたちはいつも私の部屋にいて、私が部屋で一生けんめいパソコンをしているときとかに、ふとそのかわいいぬいぐるみたちの方に目をやると、心がいやされるのです。
ここでまた、聖書のことばをご紹介します。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」
(ヨハネの福音書・15章5節)
部屋を掃除するときに、ぬいぐるみたちを家の外に持っていって、彼らの頭にかぶっているほこりを払ってあげます。天気の良いときにすると、ぬいぐるみたちも気持ちが良いかなあなんて思ったりするのでした。
そうやって、整えられたぬいぐるみたちはいつも私の部屋にいて、私が部屋で一生けんめいパソコンをしているときとかに、ふとそのかわいいぬいぐるみたちの方に目をやると、心がいやされるのです。
ここでまた、聖書のことばをご紹介します。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」
(ヨハネの福音書・15章5節)
2016年4月14日木曜日
家に巻き貝がいます
家の水槽には、お魚はいませんが、巻き貝が数匹います。一匹の巻き貝はビー玉くらいの大きさで、ほかの巻き貝はお米の粒を二回り大きくしたくらいです。私が巻き貝と呼んでいるその生き物は、たにしともいうのですが、私はその生物はせっかく私と同じ家で暮らしてくれていますので、敬意を表してあえて「巻き貝」と呼ばせていただいているのです。
数か月前までは、水槽の中に巻き貝と一緒にコッピーがいたのですが、今はちょっと家族の事情で、いつ家を空けなければならないかわからないという状況なので、巻き貝だけが水槽にいるのです。
巻き貝の世話はまだ慣れませんが、水草を入れてきれいに水槽の中を飾れたらいいなあとか、巻き貝をもっとよく観察して巻き貝の特性とかをもっと知っていけたらいいなあとそんな夢を持ったりもするのでした。
ここで、聖書のことばをご紹介します。
「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」
(新約聖書・ヨハネの福音書・10章11節)
数か月前までは、水槽の中に巻き貝と一緒にコッピーがいたのですが、今はちょっと家族の事情で、いつ家を空けなければならないかわからないという状況なので、巻き貝だけが水槽にいるのです。
巻き貝の世話はまだ慣れませんが、水草を入れてきれいに水槽の中を飾れたらいいなあとか、巻き貝をもっとよく観察して巻き貝の特性とかをもっと知っていけたらいいなあとそんな夢を持ったりもするのでした。
ここで、聖書のことばをご紹介します。
「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」
(新約聖書・ヨハネの福音書・10章11節)
2016年3月7日月曜日
バス待ちのときの車の観察
私はよくバスに乗っていろいろな所へ行きます。バス停へ行くときは、バスが来る20分くらい前までには行くようにしています。ゆったりペースの私にしてみたら、そのくらいでがちょうどなのです。バスが来るまでの間、結構時間があるので、しょちゅうバスに乗るようになったばかりのころは、いろいろ考え事をしたりとか、まわりの景色を眺めてたのしんだりして時間を過ごしていたのですが、ある時から、バス停の前を通り過ぎてゆく車を観察してみようということを思いついたのでした。
思い返してみれば、車には昔から関心がけっこうあったなあと思い出したこともありましたし、なによりのきっかけは、あるミュージシャンの方のツイッターで「クルマはいいですよね(^^)」と返信をしたことなのです。雑誌やインターネットで車の写真を見ていたということはよくあったのですが、次々と通りすぎてゆく実物の車をすばやく目で追うのもまた、たのしかったりします。これだけたくさんの車が通りすぎていったら、同じ形の車にまた出会う確率はそんなに高くないよなあ、とか、いろいろ考えます。また、私の車の観察もこれからどんな風になっていくのかたのしみです。
ここで、聖書のことばをご紹介します。
イエスは彼らに言われた。
「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」
(新約聖書・ヨハネの福音書・4章34節)
思い返してみれば、車には昔から関心がけっこうあったなあと思い出したこともありましたし、なによりのきっかけは、あるミュージシャンの方のツイッターで「クルマはいいですよね(^^)」と返信をしたことなのです。雑誌やインターネットで車の写真を見ていたということはよくあったのですが、次々と通りすぎてゆく実物の車をすばやく目で追うのもまた、たのしかったりします。これだけたくさんの車が通りすぎていったら、同じ形の車にまた出会う確率はそんなに高くないよなあ、とか、いろいろ考えます。また、私の車の観察もこれからどんな風になっていくのかたのしみです。
ここで、聖書のことばをご紹介します。
イエスは彼らに言われた。
「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」
(新約聖書・ヨハネの福音書・4章34節)
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